さよならレストインピース

だいたいジャニーズWESTのこと

日常会話で使おう「ブラッドブラザース」

舞台「ブラッドブラザース」も千秋楽を迎えましたが、わたし含め周りの方々も絶賛ブラブラロス中な今日この頃、如何お過ごしでしょうか。

あの素晴らしい舞台を記憶の中だけに留めておくのはあまりにももったいないと思いませんか。もっともっと日常生活にブラブラを!ということで、日常会話に使えそうなブラブラの台詞を集めてみました。是非、お友達との会話にお役立てください。(台詞は自分の記憶に頼ってますので実際とは異なる部分がございます)

 

①「みんな○○って呼ぶ?」「ううん」「じゃあ僕はそう呼ぶ。」

初めましての方と自己紹介をし合う時に使いましょう。みんなが呼ばなそうな愛称を提案すればきっと血を分けた兄弟になれます。ただし目上の人に使うことはお勧めしません。自己責任でお願いします。

 

②「それよりさ、エディんとこ行こうよ」

 話題を変えたいときに使いましょう。高確率で「エディって?」と聞かれ、話題は確実に切り替わります。その後の展開はお任せします。

 

③「僕なにかしましたか、ジョンストンのおばさま」

相手を怒らせてしまったと思ったときに使いましょう。消え入りそうなか細い声で言うのがポイントです。可能であれば散らばったマシュマロを拾いながら呟きましょう。

 

④「違う!ちーがーう!!!」

何かを否定するときに使いましょう。ポイントは7歳感を前面に押し出すこと。近くにクッションがあればソファにばふんばふんと叩きつけましょう。いじけた7歳児ほど強いものはありません。

 

⑤「とってもいいね」

あまり良くないと思っているものにしかたなく同意するときに使いましょう。棒読みであればあるほど正しい使い方です。顔はしかめっつらで。

 

⑥「くそぶったまたまげー!!!」

ぶったまげたときに使いましょう。なるべく上品な声で。

 

⑦「ウィンブルドンでもやってほしいー!」

おっぱいを出したままテニスをする映画を見たときに使いましょう。

 

 

 

 

いかがでしたか?日常でよくあるシーンばかりですね。きっとお役に立てるはずです。

次回は、会社で使おう「ブラッドブラザース」編をお送りします。お楽しみに!(大嘘)

9年間安田担だった私が小瀧望に転げ堕ちた軌跡を辿る

askで、ある質問をいただきました。

「小瀧くんに惹かれたきっかけ、小瀧くんに降りることに決めた要因など、小瀧くんとのなれそめを聞かせてください!」

ご質問いただいた方、ありがとうございます。そのままaskで答えてもよかったんですがせっかくブログを始めたので、しかも近頃は担降りブログなるものが流行しているので、例に漏れず乗っかってみよう精神で書いてみます。

わたしは2014年4月5日に安田章大くんから小瀧望くんへ担降りしました。 

出会いは遡ること2013年3月。ちょうど2年ほど前。当時私はバリバリのエイターで、関西Jr.については完全に無知でした。もう本当に無知でした。知っているのはエイトコンのバックに時々ついてくれていたB.A.Dやベテランあたりのみ。それも名前と顔が一致するレベルで、彼らの人となりはほとんど知らない状態。それもそのはず、私は関ジャニ∞以外に全くと言っていいほど興味を持てなかったんです。直属の後輩だって完全に管轄外でした。

そして私は安田章大くんの担当でした。2005年からずっと安田担を名乗っていました。関ジャニ∞が「好きやねん、大阪」をリリースしたときにコロっと落ちたのです。彼がまだハタチそこそこで、私は高校生でした。ひたすらに関ジャニ∞だけを追いかけ続け、高校生活、大学生活を関ジャニ∞とともに過ごし、そして社会人となってしばらく経ったちょうどこの頃、「わたしは安田担を名乗っていいのだろうか」と自問することが増えていました。いつのまにか安田くんというよりも「関ジャニ∞」というグループそのものを好きになっていて、いや、もともとそうだったのですが、いつのまにかコンサートでも特に安田くんを目で追ったりしていない自分に気づいたのです。関ジャニ∞7人が作り出す音楽、お祭り感、空気が大好きで、乱暴な言い方をすれば「関ジャニ∞なら誰でもいい」という関ジャニ∞ビッチ状態。確かに関ジャニ∞が好きなのだから私はエイターだ。しかしこれはもはや安田担とは言えない。あんなに安田くんが好きだったはずなのに。でも安田くんが好きなことに変わりはない。同じくらい他のメンバーも好きなだけ。はて、担当とは一体???とぼんやり悩み出していたのです。

 

そんなときに、長年のお友達である紗莉ちゃんに誘われ、映画「関西ジャニーズJr.の京都太秦行進曲」を観に行きました。

前述したように、当時の私の関西Jr.に関する知識などたかが知れていて、この映画を見る前は「B.A.Dと文ちゃんはわかる。これは確か重岡くん?えっと…、あとは誰?」てな感じ。ほぼ無知、完全アウェーな現場でした。アウェーはアウェーなりに楽しめるタチなのでまったく問題はなかったのですが。いや、このあとの転落人生を思えば、むしろ大問題だったのですが。

 件の映画を見たあとの私のツイート。

  

 

  はい片足つっこみました。たぶんこれが私がTwitter上で初めて彼の名前を出した時。そりゃそうだ。名前すら知らなかった。存在すら知らなかったんだもの。しかし、確実にこの時に彼の存在が私の中に埋め込まれたのです。この子、背が高いなあ。お顔濃いけど整ってるなあ。確か、小瀧くん?だっけ…?覚えておこう。 こんな感じでした。

ただこの時はまだ傷は浅かった。一撃では仕留められなかったのです。ふう、危ない。それからの日々はいつもどおりエイターとして細々と生活しておりました。が、暗黒大王紗莉ちゃんの魔の手がじわじわと忍び寄ってきていたのです。

「一緒に関西Jr.の映像を見よう!」

ある日、暗黒大王に誘われました。そのお誘いにホイホイとついていったのが、今の私があるすべての元凶。過去の少年倶楽部、ドラマ、バラエティ、たくさんの映像を見ました。それがとてもとても恐ろしい行為だなんて知らずに。そう、底なし沼と名高い「関西ジャニーズJr.史」に自ら突っ込んでいたなんて知らずに。

決定打となったのは「少年たち~格子なき牢獄~」のDVDでした。

今や高額取引しかなされていないような幻のDVDを暗黒大王は持っていました。あのひと怖い。そこに居た彼は、一際身長がひょろりと高く、ガリガリに細くて、頭にタオルを巻いていて、「規則なんてない、俺たちがルール~」なんつって一生懸命に踊っていました。そのダンスにやられたのです。目を奪われるとはまさにあのこと。もう彼しか見れませんでした。見れば見るほどにその素晴らしいスタイルや、かわいい笑顔に気づかされ、さらにはその彼が当時14歳だなんて言うジャありませんか。その衝撃たるや言葉では言い表せませんでした。

ふと気づきました。担当と名乗っている安田くんを目で追っていない私が、こんなにも一人の男の子を目で追ってしまっている。この気持ちは何だろう、この気持ちはなんーーだろおおおおおお!?と私の中の合唱団が勝手に「春に」を熱唱。

 

 はい、堕ちました。簡単でしたね。

でもこの段階で「はい、降りマース!☆」とならなかったのは、自分の中に「担降り」という概念がなかったから。もちろん「担降り」という単語、行為は知っていましたが、それが自分の問題になるなんて夢にも思ってなかったんです。この時点では「担降り」という選択肢はありませんでした。

でも、どうしても小瀧くんが頭から離れない。今まで関ジャニ∞にしか興味を持てなかったのに、こんなに衝撃的な出会いをしてしまった。脳天に落雷を受けたレベルだったのです。大袈裟ではなく「見つけた!」と思ったのです。この頃の私のテーマソングはGLAY/「出逢ってしまった二人」でした。

それからはもう小瀧くんに堕ちていく一方。

 

 

 

 

もうだめだ。泥沼だ。もはや止められなくなっていました。ちょうど精神的に仕事がつらい時期だったこともあり、彼を救世主にように思っていました。どんなに仕事がつらくても、家に帰って彼を見たら元気になれる、その対象が完全に小瀧くんになっていました。

初めて小瀧くんを生で見た現場はこの年の夏の舞台、大阪松竹座での「ANOTHER」。

 

生で見たが最後。ズブズブと頭のてっぺんまで沼に沈んでいったのです。そのまま流れるままに日生劇場ANOTHER、12月クリパと、とにかく現場に出向くことに必死になりました。

単純に、小瀧くんに会いたかったのです。

ただし、この時期は「KANJANI∞LIVE TOUR JUKEBOX」も行われていて、もちろんそちらも観に行っており、行ったら行ったでやっぱりエイトのコンサートは心底楽しくて、ああホームだなぁ、なんて思ってしまう。

この頃から、二つを天秤にかけるようになります。私はエイターで、関ジャニ∞が好きだ。しかし、小瀧くんも好きで、関西Jr.が最高で、応援していきたい。どうすればいいかわからなくなりました。正直、気持ちはすでに小瀧くんのほうに傾いていたと思います。それでも決意を妨げていたのは、翌年で関ジャニ∞が10周年を迎えるということ。ここまできたのなら、きちんと節目まで見届けるべきなのではないか。そうしないと、関ジャニ∞に、安田くんに捧げてきた私の8年間が報われないのではないか。

ちなみに、「担当」という概念は人それぞれだと思いますが、私にとって担当とは「一生添い遂げる伴侶」と同等くらいに思っていました。言うなれば私にとって安田くんはもうすぐ結婚10年目の旦那と同じ。担降りとはそのパートナーを変えること。つまり離婚。そんな簡単に出来ることではありません。もちろん実際は結婚と違い、役所も通してないし、誰の許可もいらないし、ましてや安田くんは私の存在すら知りません。私が青春時代を捧げてきたことも、違う誰かとの間で揺れていることも、安田くんは知る由もありません。私が勝手に好きになり、勝手に時間を費やした。ただそれだけのことなのです。それだけのことに泣きたくなるほど悩むなんて、ジャニオタとは面白い生き物だ。

とにかく、担降りという行為はイコール「裏切り」だと思っていたのです。ひたすらに「好き」を捧げてきた安田くんを裏切り、安田くんを好きだったから出会えたお友達をも裏切るような気持ちになっていました。だから出来なかった。小瀧くんが好きなのに、どうしても担降り出来なかった。

 

そんな時に、あのカウントダウンがやってきました。とにかくショックで、何も考えられませんでした。小瀧くんのデビューが決まったのですから嬉しいことなのに。でも私が好きになったのは「7WESTの小瀧くん」だったから。あの4人がバラバラになることが辛くて悲しくて、この感情をどこにぶつければいいのかわからない。

その翌日は、JUKE BOXツアーの福岡公演。私は関ジャニ∞に逃げました。エイトのコンサートはやっぱり楽しくて、嫌なことを忘れさせてくれました。ああ、そうか、私は逃げてるのか。いつのまにかエイトは、私にとっての逃げ道になってしまっているのか。安田担として9年目に入ったそのとき、そう気づいてしまいました。

数日後の京セラドームでのJUKE BOXツアーオーラス、何故だかボロボロに泣いてしまったのは、うっすらと「別れ」を決意していたからかもしれません。

 

その後、ジャニーズWESTが7人でのデビューを発表しました。デビュー発表の数日後に「なにわ侍ハローTOKYO!」を観劇し、嬉しくて嬉しくて涙が止まらず、「この7人についていけば間違いない」と確信しました。ずっとずっと、この子達を応援していこうと決意しました。

そして、タイミングを見計りつつ、ついに2014年4月5日に担降り宣言。ジャニーズWESTのデビュー月に、私も新しいスタートを切ることとなりました。

 

 これが、9年間(正しくは8年と4ヶ月)安田担だった私が小瀧望に転げ落ちた軌跡です。

他人から見れば本当にどうでもいいことなのですが、私にとっては人生年表に載るくらいの大きな出来事でした。何よりも嬉しかったのは、関ジャニ∞を好きだったから出会えた友人たちが、今でも変わらず付き合ってくれること。関ジャニ∞は、わたしにたくさんのものをくれました。だから、今でも変わらず関ジャニ∞は大好きです。エイターさんも大好きです。

ジャニオタをやっていて一番よかったことは、やっぱり人との出会いに恵まれていたことだと思います。これからジャニーズWESTを応援していく中で、きっとまたたくさんの人と巡り会えるはず。それが楽しみでなりません。そして、素敵な人たちと巡り会えるたびに、小瀧くんを好きでよかったなあと思うのでしょう。

今のところ、こんなにもドキドキして、胸がぎゅーってなって、「ああ、好きだなぁ」と思えるのは小瀧くんだけなので、二度目の担降りをすることはしばらくはなさそうです(笑)

 

舞台「ブラッドブラザース」を見て(ネタバレ有)

3月7日〜3月8日で舞台「ブラッドブラザース」を観劇しに大阪松竹座へお邪魔いたしました。

噂はかねがね聞いておりましたが本当に本当に素晴らしいミュージカルでした。ただし私の残念な脳みそでは「あそこのシーンはこういうことを示唆していて・・」とか「あれはこれの隠喩では・・」とかいう考察なんてものはできません。けれど、あの空間にいて感じたことをちゃんと書き記しておかないといけない気がして。このまま風化して私の中から消えてしまうのはあまりにももったいない気がして。ただの感想にすぎませんが、ちょっとだけ記録しておきます。

主にストーリーに触れていきますので、ネタバレ回避中の方はご注意ください。

 

 

今回私は3回観劇させていただきました。一回目を観たあと、ミッキーとエディは、どうしたって幸せになれない運命だったんじゃないかと思いました。二人がお腹の中にいる段階で、ジョンストン夫人とライオンズ夫人は契約を交わしてしまった。生まれたあとの人生をあのときすでに運命づけられたのだと思ったのです。ただし、もしあの契約がなされなかったとしても、二人ともジョンストン夫人の子供として育てられたとしても、結局は児童福祉施設の手によって引き離された可能性が高い。つまり、どっちにしろあの二人は生まれながらにして不幸の双子だったんだと思いました。

しかし、3回目を観劇した際、運良く表情がとても見やすい席で、ラストシーンの演者の表情を見てその考えは覆りました。とても幸せそうな顔をしていた。残念ながら真ん中よりも上手側だったので神山くんの表情しか見えなかったのですが、とても安らかに目を閉じていたんです。ああ、きっとこの双子は、こうなることこそ幸せだったのかなあ、と、思い直しました。だから、悲しい結末に変わりはないけれど、終わったあとに嫌な感情は一切残らなかった。

 

ジョンストン夫人は50ポンドというお金でエディと引き離されました。そして、ミッキーは50ポンドのために刑務所に入れられた。二人共、50ポンドに人生を狂わされたのがとても皮肉。それから、お金を渡す→一度受け取るが投げつけて返す→お金を拾う、という行為を親同士でも子同士でも行われていたのが印象的です。

 

エディとミッキーが本当は双子だと明かされるシーン。エディに注目していると、すべてを悟ったような表情をしていました。なぜ母は住む場所にこだわっていたのか、なぜミッキーと遊んではいけないと言われ続けていたのか、過去のあらゆる出来事を思い出し、それがすべて繋がったような。それが彼にとって嬉しかったのか、ショックだったのかはわかりません。対してミッキーは、まるで絶望したような真っ黒な目から、一筋涙を流し、自分の辿ってきた運命を恨みながら死んでいった。あの時、大好きな母ちゃんを「お前」と呼び、怨恨の目で睨みつけていたのがとてもとても悲しかったです。

その直後、二人は自分たちが双子だと知った上で死んでいった。母親のお腹にいる胎児の格好で、二人手を取り合って。上手く言葉にできませんが、きっとあれが最良の結末だったんだろうなと思います。少なくともエディはとても安らかな顔をしていたので、そう思いたいです。

 

ひとつだけわからないのが、何故ミッキーはエディを撃ってしまったのか。ミッキーはエディを撃つ気はなかったと思います。だってあの銃に弾が入ってるかどうかすら知らなかったのだから。脅かすつもりはあったかもしれないけれど。それに、あの時ミッキーは母親の方を見ていた。「どうして俺を渡さなかった。そうしたら、俺がこいつだったかも知れないのに」と訴えながら、銃でエディを指した瞬間に発砲。狙ったとは思えないしタイミングが唐突すぎる。暴発だったのかとも思いましたがそれだと何となく後味が悪い。さっきから運命論ばかりになっていますが、きっとあの瞬間こそが二人が生まれたときに神様が設定した「最期」だったのだろう、と自分を納得させました。ここの解釈はいろんな人の考えを見てみたいなあ。

 

ミュージカルなので素晴らしい音楽がたくさん堪能できるのですが、辛いとか悲しい場面の音楽こそ明るいメロディーの曲だったのが印象に残ってます。解雇通達されて失業手当に並ぶときとか、ミッキーが刑務所に入れられてどんどん落ちていくシーンを歌っている曲もメロディは明るい。だから、あまり気持ちが暗くならずに済んだのかなあ、なんて思います。

 

せっかくなので照史くんと神ちゃんにも触れておきます。幼少期の二人がとっても可愛くて、7歳の男の子感が何の違和感もなく伝わってくるのが本当に凄い…!ジャニーズWESTの中でも声に魅力のある二人なので、二人のいろんな声色が堪能できるのも魅力の一つでした。

14歳のミッキーの登場シーンがかっこよすぎて、声を抑えるのに必死でした…。ていうか観客も抑えきれてなかったけど!8日の昼の部なんてあそこで「フゥッ!↑」って声上がってたし(笑)

神ちゃんの歌声をあそこまで堪能できる舞台が今まであったでしょうか。エディがリンダに向けて歌う愛の歌がとにかく素晴らしくて、これはもう該当担以外も絶対に見たほうがいい!彼の歌唱力、表現力、声の伸び、、、もう、あの、とにかく見て!!!(笑)

二人の演技力が高いことなんてわかっていたけれど、この舞台できっとさらに磨かれただろうなと思います。二人共「無言の演技」がすごい。照史くん、うつ病の薬を飲んだ瞬間に、スっと目から生気が無くなるんです。凄かった。怖いと思うほど。それとエディとリンダの密会を目にしてしまい、その後銃を手にした瞬間、あれは本当に「殺人者」の目をしてました。とにかく照史くんの目の演技が半端じゃない。

神ちゃんは、銃を持ったミッキーが演説中に乱入してきたときも、いつもと変わらず「やあ、ミッキー」と挨拶をし、いつものようにニコニコしていました。ミッキーが自分に銃口を向けているのに、ずっと微笑んでる。あのシーンから涙が溢れて止まりませんでした。どんな状況だろうと、エディにとっては、目の前にいるのが大好きなミッキーであることに変わりないんだなあと。

 

つらつら書き続けたら終わらなそうなのでもうやめておきます。終始、支離滅裂な文章でごめんなさい。

きっと見るたびに違った見方が出来る舞台だから、もっともっと見たかった。でも私の中で最高の千秋楽を迎えたのでもう欲は出しません。照史くんと神山くん。この二人にしか出来ない舞台だったと思います。最高の時間を本当にありがとうございました。千秋楽まで怪我なく、楽しく、あの空間があの場所に在り続けますように。

 

ジャニーズWEST10000字インタビューを読んでの感想

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2014年10月号の桐山照史くんから始まったジャニーズWESTの10000字インタビューが全員分出揃いました。最後の淳太くんのインタビューが発売された時点で、初回の照史くんのインタビューは半年前のもの。これは頭からきちんと読み返さなければという使命感に駆られ、二日間かけて仕事から帰ったあとに全員分を読み返すという作業を行いました。

ちなみに、これから同じ作業をしようとしている方がいらっしゃるのならば、これあまりお勧めしません。鬱になるかと思いました(笑)7人分の「辛い」「苦しい」「悲しい」が一気にのしかかってきてとてもじゃないけど一人じゃ抱えきれませんでした。だから、1ヶ月に1回というペースはちょうどよかったんだぁと今となっては思います。

前述として申し上げることは、私は新規です。関西を好きになったのは2013年。たった2年前です。また、読解力と文章力が欠乏しています。その上でわたしの勝手な感想を述べたいと思います。

 

まず初めに最後の淳太くんのインタビューから触れます。彼のインタビューが一番クリアで簡潔でした。ぼんやりした単語がないのです。それまでの6人のインタビューを読んでもまだどこかモヤがかかっていた部分がサーっと綺麗に見えて、視界が広がっていく感覚でした。6人がポツポツと残していたパズルのピースを、最後の淳太くんがひとつ残らずぴったりとはめてくれた。

じゃあ、順番は淳太くんが一番目だったほうがそのあとの6人のインタビューが理解しやすかったんじゃないかとも思いましたが、きっとこの順番だから良かったのです。ファンにモヤモヤを残しつつ、最後に涙が出るほどスッキリさせてくれるのは彼らの得意技ですから。

 

初回の照史くんに話を戻します。淳太くんのインタビューを読んだあとに照史くんのを読むと、照史くんの感受性の豊かさが痛いほど感じられます。淳太くんの感情が乏しいのではありません。ただ淳太くんのインタビューはとても理論的で淡々と事実を語られているイメージ。それに対して照史くんのインタビューは、読んでいると彼の悲しそうな顔が浮かんでくるのです。文字からも伝わる彼の痛み。冗談まじりで「繊細」「ガラスのハート」などと称されますが、自分の痛みと同じくらい、他人の痛みも感じ取ってしまう人なんだなあと思います。

4人でのデビューを伝えられたときの思いは、7人7様でした。重岡くんは他のみんなも口を揃えて言うように「7人」にこだわり続けた。淳太くんは、3人のことを思うと4人という道もあったという。照史くんは、3人のことももちろんですが、他にもたくさんいる仲間のことを思っていました。関西Jrのトップに立ち続け、自分のみならず、多くの仲間の苦悩を間近で見てきたのです。他人の痛みを感じ取ってしまう(であろう)彼が、自分のデビューを前にしてその仲間たちのことを思うのはきっと必然。私の勝手な想像に過ぎませんが、この時一番精神的に辛かったのは照史くんだったと思います。デビューに選ばれなかった大好きな仲間たちの悲しみも理解した上で、一度は「4人」を受け入れた自分を「酷だ」「冷たい」と言う照史くんがとてもつらかった。

ここで思い出すのが、育ジャニ無人島編での涙。あれは「不甲斐ない自分を責めることなく受け入れてくれた仲間」に対する涙でした。これがどうしても、あの1ヶ月間とリンクしてしまいます。本人たちのためとはいえ、一瞬でも仲間を「見放した」不甲斐ない自分を、責めることなく受け入れてくれた。あのロケは確かその年の7月くらいだったと記憶していますが、あの1月から半年後になって、やっとあの後悔が、涙という形になって浄化されたのかなぁ、なんて想像してしまいます。

横アリでのリリパでの涙も印象的でした。私はその現場には行けなかったのでレポ等で知り得た情報ですが、誕生日を祝ってもらったことに感動しての涙。そういえばインタビューでも誕生日が夏休み最後の日であることを嘆いていました。大好きな仲間とたくさんのファンに囲まれての誕生日は、もしかしたら初めてだったのかな。違ったらごめんなさい。そこで言った「ほんまにしんどかった」。この一言と溢れ出る涙に、それまでのすべてを凝縮させている。稚拙な言葉しか出てこないのですが、照史くんは本当に本当に、頑張ったと思います。彼の人望や信頼感がなければ、もしかしたら7人でのデビューという主張に大人は耳も貸さなかったかもしれない。彼がいなければ、もしかしたら二度とあの3人と言葉も交わさなかったかもしれない。わたしはジャニーズWESTの生みの親は照史くんだと思っています。

 

自担の話をします。私は芸能界のノウハウなんてまったくわからないただの視聴者なので、なぜ最初に事務所に選ばれたのがあの4人だったのかわかりません。ただ一つわかることは、デビューに必要な条件は、才能や芸歴なんかじゃないということ。

そうでなければ、小瀧くんが最初のメンバーに選ばれるわけがないのです。

私は小瀧くんのファンですが、彼が神山くん、濱田くん、流星くんより秀でているとは思いません。その他にも彼より才能豊かな人は関西Jrにたくさんいる。デビューの条件に、その人の持つ能力を加味してくれるのならばまず彼は選ばれない。応援している小瀧くんのデビュー発表なのだから嬉しいはずなのに、当時、私は「何で?」という思いの方が大きかった。でもそれが芸能界であり、それがジャニーズという世界でした。少しでも「こいつは売れる」と思わせた人の勝ちなのです。そう思わせたのは紛れもなく小瀧くん本人の才能の賜物だったのでしょう。

ただ、時々ですが、わたしはネガティブなことも考えてしまいます。もし、彼が最初に選ばれた理由が単に「若いから」だったとしたら。小瀧くんに光るものがあったからではなく、「売れる」と思わせる要素があったからではなく、ただグループの平均年齢を下げるためだったとしたら。彼の人生を、そんな理由で決められたのだとしたら。こんなに悲しいことはありません。もちろん、わたしの完全な被害妄想です。でも、もし少しでも、それも理由の一部だとしたら、これから見返してやってほしい。小瀧くんはそんな理由で選ばれるだけの男じゃないから。ただの「最年少キャラ」じゃなく、彼がいないとジャニーズWESTは成り立たないと思わせるくらい、彼の魅力を世間に、周りの大人に、見せつけてほしい。彼にはそれが出来る。

結局、選ばれた理由は何だっていいんです。スタートラインに立つ権利を与えられたことに変わりはない。そのチャンスを生かすも殺すも、彼のこれからに懸かっています。小瀧担を名乗ってまだ1年のわたしに偉そうなことをいう資格はありませんが、彼が好きだから、アイドルとして大成してほしいから、このチャンスを存分に血肉にしてほしい。それを永遠に応援し続けていく覚悟は、とっくに出来ています。

 

長々と書いてきましたが、全員分の内容に触れるとキリがないので割愛するとして、最後にこれだけは書き記させてください。

7人のインタビューの冒頭。一貫してあのデビュー発表のときの心境から始まっています。そこで唯一、ファンへの思いを口にしてくれているのが淳太くんでした。

淳太くんはおそらくメンバー内で一番ファンへの愛情を形として見せてくれます。「ジャスミン」という愛称を一番気に入って嬉々として使っているのもその証拠。ただ、アイドルとファンの間の「愛」の形状はなかなかグループによって様々です。

2年前のNEWSのツアーに行ったとき、驚いたのはNEWSのメンバーがファンへの愛をものすごく言葉にすること。「可愛いね」「好きだよ」「愛してるよ」なんて言葉が呼吸をするかのように出てくる。完全なリア充でした。付き合って1ヶ月目の恋人同士のようでした。もうお互いの「好き」が飽和状態でした。きっとそれがNEWSとファンの関係。

それに対し、関ジャニ∞とファンの関係というのは「戦友」「同志」みたいな単語が似合う気がします。共に戦火を駆け抜けてきた仲間のような関係。長年関ジャニ∞のファンをやってきて感じたことです。彼らはほとんどファンに対して愛の言葉なんてささやきません。彼らなりの愛情の示し方はまた別にあるのです。

そして、ジャニーズWESTとファンの話になりますが、私の知る限りでは彼らもそこまでファンに対して愛の言葉は口にしません。当たり前といえば当たり前ですが、まだ「感謝の言葉」の方が多い。ジャニーズJrという不安定な立場の自分たちを、諦めずに応援し続けてくれたファンに対する感謝。不安定がゆえにたくさん泣かせてきたことも彼らはよく理解している。だからこそ、こうしてしっかりした土台が出来た今、彼らを応援していく基盤ができた今、「これからは安心して応援してね」という意味で、彼らは私たちに「ジャスミン」という肩書きを与えてくれたんだと思います。これが彼らなりの愛情であり、感謝の印なんだなと。私の想像ですがね。

NEWSとファンが「恋人」、関ジャニ∞とファンが「戦友」だとしたら、ジャニーズWESTとファンとの関係は「家族」かな、なんて思います。口には出さないけれど、その根底には揺るぎない感謝と愛情がある。そんな彼らのファンであることを、とてもとても嬉しく思います。

 

ふと我に返ると、全員分のインタビューを読み返した意味がほぼないような感想になってしまいました。本当は全員に触れたいのです。もっと言いたいこともある。でもそれだと卒論レベルの内容量になってしまうので・・(笑)

まとまりもなく、だらだらとした文章で申し訳ありません。

このインタビューを敢行してくださったMyojoさんと、辛かった過去を包み隠さずに話してくれたジャニーズWESTのメンバーに感謝でいっぱいです。話してくれてありがとう。

冒頭でも言ったように、全員分のインタビューを読み返す作業は大変でした。でも、読み終わって思ったことは、ありきたりですが、「ジャニーズWESTのファンでよかった」。これに尽きます。

まだデビューして1年。これからずっとずっと続いていく未来が、楽しみでたまりません。

本当に、この7人でよかった。

わたしはこの7人が、心から大好きです。