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さよならレストインピース

だいたいジャニーズWESTのこと

9年間安田担だった私が小瀧望に転げ堕ちた軌跡を辿る

askで、ある質問をいただきました。

「小瀧くんに惹かれたきっかけ、小瀧くんに降りることに決めた要因など、小瀧くんとのなれそめを聞かせてください!」

ご質問いただいた方、ありがとうございます。そのままaskで答えてもよかったんですがせっかくブログを始めたので、しかも近頃は担降りブログなるものが流行しているので、例に漏れず乗っかってみよう精神で書いてみます。

わたしは2014年4月5日に安田章大くんから小瀧望くんへ担降りしました。 

出会いは遡ること2013年3月。ちょうど2年ほど前。当時私はバリバリのエイターで、関西Jr.については完全に無知でした。もう本当に無知でした。知っているのはエイトコンのバックに時々ついてくれていたB.A.Dやベテランあたりのみ。それも名前と顔が一致するレベルで、彼らの人となりはほとんど知らない状態。それもそのはず、私は関ジャニ∞以外に全くと言っていいほど興味を持てなかったんです。直属の後輩だって完全に管轄外でした。

そして私は安田章大くんの担当でした。2005年からずっと安田担を名乗っていました。関ジャニ∞が「好きやねん、大阪」をリリースしたときにコロっと落ちたのです。彼がまだハタチそこそこで、私は高校生でした。ひたすらに関ジャニ∞だけを追いかけ続け、高校生活、大学生活を関ジャニ∞とともに過ごし、そして社会人となってしばらく経ったちょうどこの頃、「わたしは安田担を名乗っていいのだろうか」と自問することが増えていました。いつのまにか安田くんというよりも「関ジャニ∞」というグループそのものを好きになっていて、いや、もともとそうだったのですが、いつのまにかコンサートでも特に安田くんを目で追ったりしていない自分に気づいたのです。関ジャニ∞7人が作り出す音楽、お祭り感、空気が大好きで、乱暴な言い方をすれば「関ジャニ∞なら誰でもいい」という関ジャニ∞ビッチ状態。確かに関ジャニ∞が好きなのだから私はエイターだ。しかしこれはもはや安田担とは言えない。あんなに安田くんが好きだったはずなのに。でも安田くんが好きなことに変わりはない。同じくらい他のメンバーも好きなだけ。はて、担当とは一体???とぼんやり悩み出していたのです。

 

そんなときに、長年のお友達である紗莉ちゃんに誘われ、映画「関西ジャニーズJr.の京都太秦行進曲」を観に行きました。

前述したように、当時の私の関西Jr.に関する知識などたかが知れていて、この映画を見る前は「B.A.Dと文ちゃんはわかる。これは確か重岡くん?えっと…、あとは誰?」てな感じ。ほぼ無知、完全アウェーな現場でした。アウェーはアウェーなりに楽しめるタチなのでまったく問題はなかったのですが。いや、このあとの転落人生を思えば、むしろ大問題だったのですが。

 件の映画を見たあとの私のツイート。

  

 

  はい片足つっこみました。たぶんこれが私がTwitter上で初めて彼の名前を出した時。そりゃそうだ。名前すら知らなかった。存在すら知らなかったんだもの。しかし、確実にこの時に彼の存在が私の中に埋め込まれたのです。この子、背が高いなあ。お顔濃いけど整ってるなあ。確か、小瀧くん?だっけ…?覚えておこう。 こんな感じでした。

ただこの時はまだ傷は浅かった。一撃では仕留められなかったのです。ふう、危ない。それからの日々はいつもどおりエイターとして細々と生活しておりました。が、暗黒大王紗莉ちゃんの魔の手がじわじわと忍び寄ってきていたのです。

「一緒に関西Jr.の映像を見よう!」

ある日、暗黒大王に誘われました。そのお誘いにホイホイとついていったのが、今の私があるすべての元凶。過去の少年倶楽部、ドラマ、バラエティ、たくさんの映像を見ました。それがとてもとても恐ろしい行為だなんて知らずに。そう、底なし沼と名高い「関西ジャニーズJr.史」に自ら突っ込んでいたなんて知らずに。

決定打となったのは「少年たち~格子なき牢獄~」のDVDでした。

今や高額取引しかなされていないような幻のDVDを暗黒大王は持っていました。あのひと怖い。そこに居た彼は、一際身長がひょろりと高く、ガリガリに細くて、頭にタオルを巻いていて、「規則なんてない、俺たちがルール~」なんつって一生懸命に踊っていました。そのダンスにやられたのです。目を奪われるとはまさにあのこと。もう彼しか見れませんでした。見れば見るほどにその素晴らしいスタイルや、かわいい笑顔に気づかされ、さらにはその彼が当時14歳だなんて言うジャありませんか。その衝撃たるや言葉では言い表せませんでした。

ふと気づきました。担当と名乗っている安田くんを目で追っていない私が、こんなにも一人の男の子を目で追ってしまっている。この気持ちは何だろう、この気持ちはなんーーだろおおおおおお!?と私の中の合唱団が勝手に「春に」を熱唱。

 

 はい、堕ちました。簡単でしたね。

でもこの段階で「はい、降りマース!☆」とならなかったのは、自分の中に「担降り」という概念がなかったから。もちろん「担降り」という単語、行為は知っていましたが、それが自分の問題になるなんて夢にも思ってなかったんです。この時点では「担降り」という選択肢はありませんでした。

でも、どうしても小瀧くんが頭から離れない。今まで関ジャニ∞にしか興味を持てなかったのに、こんなに衝撃的な出会いをしてしまった。脳天に落雷を受けたレベルだったのです。大袈裟ではなく「見つけた!」と思ったのです。この頃の私のテーマソングはGLAY/「出逢ってしまった二人」でした。

それからはもう小瀧くんに堕ちていく一方。

 

 

 

 

もうだめだ。泥沼だ。もはや止められなくなっていました。ちょうど精神的に仕事がつらい時期だったこともあり、彼を救世主にように思っていました。どんなに仕事がつらくても、家に帰って彼を見たら元気になれる、その対象が完全に小瀧くんになっていました。

初めて小瀧くんを生で見た現場はこの年の夏の舞台、大阪松竹座での「ANOTHER」。

 

生で見たが最後。ズブズブと頭のてっぺんまで沼に沈んでいったのです。そのまま流れるままに日生劇場ANOTHER、12月クリパと、とにかく現場に出向くことに必死になりました。

単純に、小瀧くんに会いたかったのです。

ただし、この時期は「KANJANI∞LIVE TOUR JUKEBOX」も行われていて、もちろんそちらも観に行っており、行ったら行ったでやっぱりエイトのコンサートは心底楽しくて、ああホームだなぁ、なんて思ってしまう。

この頃から、二つを天秤にかけるようになります。私はエイターで、関ジャニ∞が好きだ。しかし、小瀧くんも好きで、関西Jr.が最高で、応援していきたい。どうすればいいかわからなくなりました。正直、気持ちはすでに小瀧くんのほうに傾いていたと思います。それでも決意を妨げていたのは、翌年で関ジャニ∞が10周年を迎えるということ。ここまできたのなら、きちんと節目まで見届けるべきなのではないか。そうしないと、関ジャニ∞に、安田くんに捧げてきた私の8年間が報われないのではないか。

ちなみに、「担当」という概念は人それぞれだと思いますが、私にとって担当とは「一生添い遂げる伴侶」と同等くらいに思っていました。言うなれば私にとって安田くんはもうすぐ結婚10年目の旦那と同じ。担降りとはそのパートナーを変えること。つまり離婚。そんな簡単に出来ることではありません。もちろん実際は結婚と違い、役所も通してないし、誰の許可もいらないし、ましてや安田くんは私の存在すら知りません。私が青春時代を捧げてきたことも、違う誰かとの間で揺れていることも、安田くんは知る由もありません。私が勝手に好きになり、勝手に時間を費やした。ただそれだけのことなのです。それだけのことに泣きたくなるほど悩むなんて、ジャニオタとは面白い生き物だ。

とにかく、担降りという行為はイコール「裏切り」だと思っていたのです。ひたすらに「好き」を捧げてきた安田くんを裏切り、安田くんを好きだったから出会えたお友達をも裏切るような気持ちになっていました。だから出来なかった。小瀧くんが好きなのに、どうしても担降り出来なかった。

 

そんな時に、あのカウントダウンがやってきました。とにかくショックで、何も考えられませんでした。小瀧くんのデビューが決まったのですから嬉しいことなのに。でも私が好きになったのは「7WESTの小瀧くん」だったから。あの4人がバラバラになることが辛くて悲しくて、この感情をどこにぶつければいいのかわからない。

その翌日は、JUKE BOXツアーの福岡公演。私は関ジャニ∞に逃げました。エイトのコンサートはやっぱり楽しくて、嫌なことを忘れさせてくれました。ああ、そうか、私は逃げてるのか。いつのまにかエイトは、私にとっての逃げ道になってしまっているのか。安田担として9年目に入ったそのとき、そう気づいてしまいました。

数日後の京セラドームでのJUKE BOXツアーオーラス、何故だかボロボロに泣いてしまったのは、うっすらと「別れ」を決意していたからかもしれません。

 

その後、ジャニーズWESTが7人でのデビューを発表しました。デビュー発表の数日後に「なにわ侍ハローTOKYO!」を観劇し、嬉しくて嬉しくて涙が止まらず、「この7人についていけば間違いない」と確信しました。ずっとずっと、この子達を応援していこうと決意しました。

そして、タイミングを見計りつつ、ついに2014年4月5日に担降り宣言。ジャニーズWESTのデビュー月に、私も新しいスタートを切ることとなりました。

 

 これが、9年間(正しくは8年と4ヶ月)安田担だった私が小瀧望に転げ落ちた軌跡です。

他人から見れば本当にどうでもいいことなのですが、私にとっては人生年表に載るくらいの大きな出来事でした。何よりも嬉しかったのは、関ジャニ∞を好きだったから出会えた友人たちが、今でも変わらず付き合ってくれること。関ジャニ∞は、わたしにたくさんのものをくれました。だから、今でも変わらず関ジャニ∞は大好きです。エイターさんも大好きです。

ジャニオタをやっていて一番よかったことは、やっぱり人との出会いに恵まれていたことだと思います。これからジャニーズWESTを応援していく中で、きっとまたたくさんの人と巡り会えるはず。それが楽しみでなりません。そして、素敵な人たちと巡り会えるたびに、小瀧くんを好きでよかったなあと思うのでしょう。

今のところ、こんなにもドキドキして、胸がぎゅーってなって、「ああ、好きだなぁ」と思えるのは小瀧くんだけなので、二度目の担降りをすることはしばらくはなさそうです(笑)