さよならレストインピース

だいたいジャニーズWESTのこと

「重岡大毅」が先か「大友勝利」が先か -映画「溺れるナイフ」のこと-

 

映画「溺れるナイフ」のDVD、Blu-rayが発売になり、本編より先に特典のメイキングに目を通したらにっちもさっちもどうにも感情が爆発しそうになったので、拙い、的はずれな文章になるでしょうが、ここに書き殴らせてください。

 

この映画自体が、若い人気のある俳優女優を起用した作品に似つかわしくない(と言ったら語弊があるかもしれないけれど)暴力的で強烈な、見る人すべての心臓に火傷を負わせるような、とにかく鮮烈な映画なんだけれど、その中で唯一、ほっとできる存在、画面に映っただけでスゥッと胸を撫で下ろせるような存在、「大友勝利」の役に我らが重岡大毅がキャスティングされたことが、やっぱりどう考えてもめちゃくちゃヤバイ。本編のみならずメイキングで見せる素の重岡くんの姿も、もはや大友以外の何でもなくて、これは一体何なのか、重岡くんに「大友」の魂が乗り移ってるのか、それとも、もともと重岡くんが「大友」そのものだったのか、何が正解なのかわからなくて、胸をかきむしって転げまわりたい衝動に駆られます。

あの椿のシーンでカットがかかった瞬間、口から外していた椿をまたパクッと咥えて、小松菜奈ちゃんにへへへっと笑いかけるその姿がもう「大友」すぎて、本番よりもカットがかかったあとのほうが「大友」だなんて一体どういうことなんだと、ちょっと呆然としてしまいました。オンでもオフでも、重岡大毅の「大友力(おおともりょく)」がハンパじゃない。しかも作ったわけではない、重岡大毅重岡大毅であることがイコール大友であることになる。これはヤバイ。

こんなにも「大友勝利」にふさわしい役者は他にいないと思うわけだけど、山戸監督もやはりそうだったようで、パンフレットで「誰かと迷って決めたわけじゃなく、比較対象のない4人だった」「選んだのではなく、出会った」ということを話していたし、誰よりも原作「溺れるナイフ」を心底愛している監督が「大友勝利は重岡大毅だ」と思ってくださったのなら、やはり間違いないのだと思う。

こうなってくるともう「重岡大毅」が先か「大友勝利」が先か、みたいな問題になってくる。だけれども、メイキングで「大友力」を散々見せてきた直後に、空き地で軽やかなターンやステップを披露するなんて、突然彼がジャニーズ事務所のアイドルであることを思い出させるなんて、これはズルい。脳みそが追いつかずにまた頭を抱えることになる。大友勝利が持っていない「アイドルである」というプライドみたいなものを目の当たりにして、それが「大友勝利」にすべてを飲み込まれないようにするための抵抗のようにも見えて、我らがセンターのアイドルとしての底力を見たような気がするのです。

完成披露試写会で山戸監督が「この映画を楽しみにしてくれている、この会場に来てくれた皆さんがわたしにとって世界一の運命の女の子だ」ということをおっしゃっていましたが、重岡大毅がアイドルをやっていたからこそ「大友勝利」という人間に出会えたのだと思うと、彼もまた「世界一の運命の男の子」なんだろうなぁ。

 ところで、パンフレットで、大友のことがこのように表現されていました。

f:id:westsidestory:20170423135050j:plain

夏芽にとって陽だまりのような存在である大友勝利。

ジャニーズWESTの楽曲「ボクら」で「キミはキミのために生きるんだ ボクはキミの陽だまりになる」と歌う重岡大毅

果たして偶然なのか必然なのか。またしても「重岡大毅」が先か「大友勝利」が先か問題を引っ張り出すことになり、これからずっとこの映画のことを考えるたびに頭を抱えることになるのだろうな、と思うのです。