さよならレストインピース

だいたいジャニーズWESTのこと

何故ニシハタは死ななければならなかったか。~2015年夏松竹座「少年たち」

先に言っておきますが、タイトルにある問いに答えはありません。むしろ答えを教えて欲しい。

今年の夏の松竹座、わたしは有難いことに3公演を観劇させていただきました。見れば見るほどにはまっていき、また見たい!と思わずにはいられないほど。

今の関西Jr.が全力で取り組み、全力でぶつかった、とても素敵な作品でした。

 

誰々がかっこよかった!とか、あそこのシーンが好き!とかもあーだこーだ言いたいのですが、わたしが一番印象的だったのが「過去の少年たちからの変化」

正直、ストーリーとしては過去の少年たちよりも遥かに残酷で、遥かに悲しいものでした。

 

※以下、勝手な感想を綴っていきますが、私は「2010少年たち~格子なき牢獄~」と「2012少年たち~Jail in the sky~」のDVDしか見ておらず、それ以外の少年たちを知りません。ほとんどストーリーに変化はなかったものと仮定して話しています。的はずれなことを言っているかもしれません。個人的な勝手な感想ですので、ご了承いただければ幸いです。

 

 

今回の「少年たち」には、過去の「少年たち」から大きく変化した部分が2つありました。

まず一つ目は、定番のライバル関係となる二人が血縁者である点。

そして二つ目、脱獄の際に命を落とすのが「塀の外に待っている人がいる」人物である点。

これらが今回の少年たちの「残酷さ」の根源だと思います。

一つ目の点。赤チームのリーダー・ニシハタはこれまでのリーダーを違い、真面目で心優しい模範囚。囚人服もアレンジして着たりせず、首元まできっちりボタンを閉めているような少年です。対する青チームのリーダー・ムカイはヒヤリと冷たい目を持つ、何もかもを諦めたような、だけど心の内に燃える何かを抱えているような少年。この二人は実の兄弟です。親が離婚しており、ムカイは母に、ニシハタは父についていったため名前が違います。ムカイはニシハタを憎んでいました。自分と母親を捨てたと思っていることに加え、自分の罪を警察に通報したのは他でもない血縁者のニシハタだったから。そのせいで母親は泣きながら死んでいったと主張します。しかし、それはムカイのことを思ってのこと。荒れていたムカイが、少しは冷静になってくれると信じての行動でした。すれ違う二人。その二人が歌う「Rival」。過去の少年たちで「Rival」を歌ってきた二人の間に、これほどまで明確な、そして底の深い蟠りがあったでしょうか。ムカイの台詞に「これほど血の繋がりを憎んだことはない」というものがありました。(正確には少し違うかもしれません…)そこに「血縁」という決して切れることのない鎖があったことで、今回の「Rival」には悲しさ、もどかしさ、憎しみ…様々な感情が入り乱れ、見ていてとても辛かったのを覚えています。

 

 

二つ目の点。少年たちでは必ず脱獄の際に囚人の一人が命を落としてしまいます。今回、その運命を背負ったのがニシハタでした。胸がえぐられるほど辛いストーリーでした。ここで、ニシハタが歩んできた道程をまとめてみます。

 

 ・両親が離婚。一家離散状態に。

・父親は借金を抱え、自分と弟に暴力を振るうようになり、自暴自棄の末に自殺

・母親は病死

・実の兄弟(ムカイ)は犯罪を犯し、自分が通報したことで少年院へ。そして憎まれるようになる。

・自分は、弟に手を出した借金取りに殴りかかり少年院へ。

 ・施設にいる弟に早く会いにいくため模範囚となる。早期の刑期満了を言い渡されていたが、それは嘘で、看守長は出すつもりはない(看守たちの会話より。事実なのかは不明)

・弟に会うために、そしてムカイとまたやり直すために、脱獄を決意。その途中で看守長により射殺される。

 

 これからというときに、これから新たな人生を歩みだそうと希望に満ちていたときに、ニシハタは殺された。

これまでの少年たちで最後に命を落としてきたのは、ご存知のとおり、今回のオオニシの役です。生まれながらにして孤独。塀の中で初めての友達が出来て、ここが好きだ、ずっとここに居たいと言う役柄。だから、これまでの「彼ら」は皆幸せそうな顔をして死んでいきました。

しかしニシハタはどうでしょう。誰よりも、塀の外へ出ることを望んでいました。塀の外に待っている人がいました。適切な表現かどうかわかりませんが、「よりによって」ニシハタが死ぬことになるなんて。何で。何で。と、悔しさで涙が止まりませんでした。

今回も、死んだニシハタに向けて「何でそんな幸せそうな顔してんねんニシハタ!」という台詞がありましたが、私は「ニシハタが幸せなわけないじゃないか…」なんて思ってしまい、あまりの残酷さにやりきれない思いでいっぱいでした。

志半ばで命を落としたニシハタにとって唯一の救いは、ムカイが改心してくれたこと。ニシハタの代わりに、自分が弟を守ると言ってくれたこと。ムカイはニシハタをずっと憎んでいましたが、それでもニシハタはムカイを信じ続けました。それが報われたことで、私のズタズタの心も、やっと少し救われた気がしました。ニシハタの亡骸を抱きしめていたムカイがスッと立ち上がり、目の前を見据えて「弟には俺がいる」とまっすぐ言い放った姿を見て、「俺がいなくても大丈夫だ」とニシハタも安心したんじゃないかな、と思います。

 

きっと神様が、「もう休みなさい」と言ったんだろうな。

少しだけ間違いを犯してしまったけれど、誰よりも正しく、誰よりもまっすぐであろうと必死にもがいてきた彼に、「もう頑張らなくていいよ」「ゆっくりおやすみ」と神様が言ってくれたんだろうな。

3回目の観劇でそう思えるようになり、やっと私の「何で。何で。」はスゥッと松竹座の椅子の背もたれあたりに溶け出していきました。

 

 また、ニシハタの死後、刑期が満了しても、オオニシが塀の中に残ることを決めたのは、本人の言うとおり「ここが好きだから」「ニシハタのそばにいてやりたいから」というのももちろんあると思います。だけど、もうひとつ。「償い」の意味も含まれているように思えてなりません。ニシハタが死んだとき、オオニシは「俺のせいで」と泣き叫びました。オオニシは自分のせいでニシハタは死んだと思っている。つまり、「ニシハタを殺した罪」で、さらなる刑期を自らに課したのではないかと、思わずにはいられません。オオニシがあそこを出て行くのはいつになるのか。1年後なのか、10年後なのか。もしくは終身刑なのか。それがオオニシにとっての幸せなのであれば、それも一つの「人の道」なのかもしれません。

 

 

 パンフレットで康二くんが「過去の『少年たち』と比べず、前回は前回、今回は新しい芝居として見ていただきたい」と言っていました。過去と比べて、どっちの方が良いだとか比較したいのではありません。過去があったからこそ、今があるのですから。過去は過去。今は今。それぞれ、その時の演者が全力でぶつかった最高の作品です。「過去」から「今」への流れの中で変化した点がわたしにとって特筆すべき事項でしたので、好き勝手に感想を拙い文章にぶつけさせていただきました。乱筆にて失礼いたしました。

 

 まさに、胸がえぐられるような舞台でした。しかし、関西Jr.皆がこの夏のすべてを費やし、全身全霊をかけて作り上げた本当に本当に素晴らしい作品でした。

泣いたあとに、気分を一気に最高潮まで上げてくれるショータイムも最高に楽しかった。

2015年の夏が、これからも関西Jr.にとっての大きな糧となりますよう祈らずにはいられません。

成長し続ける少年たちの姿は何よりも眩しく、美しい。

 

千秋楽、おめでとうございます。お疲れ様でした!